命日

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    今日で、父を見送ってからちょうど1年。


    去年は確か、「引退試合で優勝したような清々しさと寂しさ」と書いた記憶があるんですが


    あれから毎日、父の部屋を通り過ぎるたびに当時のことを思い出して
    ときどき、どうしようもなく悲しい気持ちになることも増えました。
    父が作ってくれたラジコンが出てきたり、父が使っていたカメラを使ってみたり
    やはり全てを教えてくれたのは父でした。


    ありがとうの言葉が届かないのが本当に残念だけど、


    どんな逆境でもくじけずに、あきらめず、投げ出さず、耐え忍んで歯を食いしばって行く
    父の生き様を、自分も受け継いで生きていこうと改めて思いました。


    2年目のおぞね、いきます!


    結婚式

    0



      姉の結婚式でした。






      結婚が決まったのが結構前で


      父さんは、5月に亡くなる2週間ほど前、呼吸不全ぎみで意識が混濁していたのか


      「今日はバージンロード歩く練習しないとな・・・(そんな予定ありません)」
      「これから結婚式の衣装、選びに行くんだよな・・(そんな予定、まったくありません)」


      と、すでに寝たきりに近い状態なのに最後の最後まで心配していました。



      そして、ついこの前姉から



      父さんの代役を任されたわたくし。



      それから本番まで、わたくしも
      「バージンロード 歩き方」とかでググって心配になったり
      つくづく親子なのです。



      そして挙式。


      仕事疲れと緊張からか、体調最悪。
      当日の朝方、うなされてゲロゲロ。


      赤牛とウイダーでなんとかしのいで、


      いざ、チャペルへ。


      弟がエスコートすることはあまりないらしく
      (普通は叔父さんなどに頼むようです)

      ちょっとだけ空気がざわついたけれど、


      最初の45度最敬礼は


      父さん、俺が代わりにやっちゃってごめんね、という思い。


      その後の一歩一歩、


      親父のこととか、今までのこととか考えて


      俺が泣いちゃうんじゃないかと心配していたものの、


      実際はそれどころではなく、とにかく無心、
      人はここまで空っぽになれるんだというくらい。



      緊張して心臓ばっくばくだったけれど、どうしてか
      もっともっと、ずーっとこうして歩いていたい不思議な気持ち。


      けれど、チャペルの道はそんなに長くなくって、お義兄さんが待つ元へ。

      父さんが危ない状態になってから、旅立ちの時、お別れの時までずーっと、
      世間知らずの姉を支えてくれた、とても頼りになるお義兄さん。


      笑顔で一礼して、私の役目は終わりました。

      私と、父の役割と言いますか。




      父さんが長くないって分かった時、

      なるべく早く式を挙げたいと思った母と姉に対し
      お義兄さんは、お金や仕事、全部一人前になってから親に迷惑はかけずに挙げたい、と言い
      揉めたりもしたのですが

      父さんは

      「2人の納得いくようにやりなさい」

      としか言わなかった。


      改めて、

      常に謙虚、遠慮がちで真面目で優しい、

      偉大な父さん。



      まだ貴方に追いつくことはできないけれど
      昨日はなんとか、代役を務めることができました。
      どこかで見ていてくれたのなら嬉しいです。

      立日

      0
         

        父さんが亡くなって1ヶ月。もう1ヶ月。


        改めて、このたび皆様方からの多大なるご厚情を賜りましたことを
        心よりお礼申し上げます。



        事務的な処理は概ね落ち着いたのですが、


        寂しさは相変わらずで、仕事中にふと最期の瞬間を思い出したり
        死んでいるのに、「今頃なにしているんだろう」とか考えちゃったり

        気持ちの整理には時間が必要かもしれません。





        1ヶ月前の07:20。セデーション開始5日目。



        「お父さんの呼吸が変わってるんだけど診て!」

        と母に起こされる。


        この3日前くらいに、母、交代で父を看てくれる姉夫婦や従兄弟に、
        死が近づいたときの呼吸の変化について説明をしておいた。


        「下顎呼吸って言って、頬を引きつらせるような浅い呼吸になったらみんなを呼んで」


        もちろん、ネットや医療従事者のお友達からの情報であって、自分で見たことなんてなかったけど。
        それでも「容態が変わったら」「何かあったら」などと漠然にいうよりは覚悟ができる。


        ばっと飛び起きてメガネをかけ、父の様子を見る。



        ああ、頬で呼吸している。こういうことか・・・



        先生に電話しようか?と母は訊いてきたので黙って頷いたけれど、
        ドクターがどうこうできる物ではないので、
        心のどこかで「いよいよお別れかな。」と不思議に落ち着いていた。


        母は電話を終え、各部屋で休んでいる姉夫婦と従兄弟を呼んでいる。


        僕はふたりっきりになっていて、すでに息が途絶えてきている父に静かに声をかけた。




        お父さん、大丈夫だから。もう何も心配しなくていいから、ゆっくり休んでいいんだよ。


        父はもう呼びかけに応えることはないけれど、安堵のため息にも似た、ふぅ〜っと
        とてもゆっくり、長い息を吐いた。


        みんなが部屋に入ってきたので、この状況を改めて説明。


        「もう、息が時々止まってきてるから。でもまだ心臓動いてるし、息もしてる。」


        姉がどうしたらいい?と聞いてきたので、気道を少しでも確保するように
        枕をはずすよう提案してみた。
        あと、声は聴こえているらしいから話しかけよう、と。


        僕は1Fへ降りて安定剤を1錠。
        多分、これからしばらく気丈でいないといけないから。
        それでもコップを持つ手が震えたのを覚えてる。



        父の部屋に戻ったら、家族のみんなが父の手を握って、おなかをさすって、顔をなでていた。

        この辺の状況はだいぶ曖昧だけれど、

        みんな泣いていたかな。


        お母さんが


        「お父さん、まだ温かいよ。」


        って言っていたのだけは覚えている。


        僕は今更バイタルを確認するようなことをする気にはなれず、
        ぼーっと立っていたのかな。確か。


        数分後にドクターが来て、

        「本当に、本当にがんばりましたね。」

        と涙目でひとこと。



        人の死って、ドラマや映画みたいに壮絶でドラマチックな物だと思っていたのですが、
        実際はまったくそんなことはなく、自然に、穏やかに、
        線香花火のラストみたいに、すーっと灯りが消えていくんですね。



        写真が出てきました。4ヶ月の時。
        父は家族カメラマンだったので、父が写っている写真はほとんどなくて
        大抵が僕と姉だったり、姉と母だったりするのですが、
        唯一と思われる、父と息子のツーショット。




        このとき、どういう気持ちで僕を抱いてくれていたのか
        もう直接聞くことはできないけれど、


        26歳の時、新婚で妊娠中だった前の奥さんを亡くし


        途方に暮れた中で今の母と出会い

        元気な家族が増えた、幸せがあったと信じたいです。



        いつか、自分に子供ができたのなら
        同じような写真を撮って、隣に並べてあげようと思います。



        そんな、命のバトンについて考える今日この頃でした。

        気持ちの整理

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          初七日も普通に過ごし、先日職場に復帰しました。


          まだ宙ぶらりんな感覚。


          ゆっくりなおしゃべりとかは楽しくできるのですが


          離人感というべきか、自分を外から見ているような
          あるいは、ピーカンなのに視界が雲って見えたり

          いわゆる解離っぽい症状が起こってます。


          んー、、気持ち悪い。


          気持ち悪いですが、


          無理しないでマイペースでやって行こうと思います。



          もうしばらくお待ち下さいませ。。

          ご報告

          0
            本日平成24年5月11日、午前7時30分

            約2年間の闘病を終え
            無事に父を看取ることができました。


            本当に穏やかで、


            寝息がゆっくりになってきたなと思ったら
            それが父の最期の呼吸でした。


            従兄弟たちも泊まりに来てくれている朝で
            最後の最後まで、家族思いの優しい父でした。



            なお故人の遺志を尊重し、形式だった葬儀、告別式は行いません。
            皆様方においては、普段どおりのご家族との生活を大切にして頂ければと思っています。


            とりいそぎご報告まで。


            ビール好きは遺伝だった!

            0
               はい。

              セデーションによる鎮静と低酸素で、もう会話をすることはできない父ですが、

              時々起きては周りを見渡したり、何かを訴える表情をします。

              当然、きちんとした食事は摂れないけれど、母が

              「何か食べたい?」
              「何か飲みたい?」


              と聴くと、なにやら反応が。


              「何か飲む?」


              こくり。


              「水?」


              反応ナシ



              「それともビール?」

              (しばらく間が空いて)

              こくり。


              ビールかよっ!

              スポンジで含ませるか、スプーンで運んであげるか。

              スーパードライ缶を開けてコップに移して

              母がスプーン越しに父の口へ運ぶとごくっと。


              「おいしい?」


              こくり。



              このときの父の満足そうな顔は一生忘れられないくらい、
              見ていて嬉しかったです。


              すぐに、もっと欲しいというような顔をするので
              もう一口。


              すると今度は、左手をゆっくり口に持っていって
              口をすぼめて待ってる。


              意識がもうろうとしている中で、母と晩酌をしていた時を思い出して
              ジョッキを傾けているつもりなんだろうか。

              母がタイミングを合わせてスプーンで口に入れると
              喉越しを味あうようにごくっと。


              本当に満足そうな顔。


              何口か飲んだら、さすがに疲れたのか
              また目を閉じて寝てしまった。




              あんなご満悦な顔の父を見たのは何年、何十年ぶりだろうか。

              ここまで、最後の親孝行としてできることは何でもやってきたけれど、
              僕の中でもう十分、やり遂げた感がこみ上げてきて
              昨日は眠れました。

              家族写真。

              0
                 はい。


                発熱もなかなか治まらず、酸素も80を切っていて
                身体はしんどいはずなのですが、セデーションのおかげか
                呼吸はかなり落ち着いてきました。



                昨日は、家族写真をとりました。


                先日入籍して、結婚式を9月に控えている姉。


                親父はずーっと、式の事が気がかりみたいで
                寝ぼけたり、せん妄で意識があいまいな中で


                「結婚式のドレス選びに行かなきゃ」
                「バージンロード歩く練習しなきゃ」

                と繰り返し繰り返し、入ってもいない予定を気にして、
                自由に歩けなくなってからも、


                「なんとか歩けるようにならないと、恥ずかしい思いさせちゃうな。」


                って看護師さんにリハビリを頼んでいたり。


                結局、そんな心配しなくて良くなったけれど、


                せめて姉のドレス姿を見てほしくて、


                なんと、姉は母が結婚した時に使ったウエディングドレスを着て


                家族4人で写真を撮りました。


                最高の笑顔で。


                ここまで一家4人で頑張ってきた証として。



                父は疲れて寝ちゃったけど、ドレス姿の姉をしっかり見つめていて本当によかった。


                お忙しいところ撮影に来てくださったebaさんにも本当に感謝です。

                どうか苦しまないで

                0
                  昨晩、2年間ブログで封印していた親父のことを書いたら

                  それまで比較的落ち着いていたのに、今日になって容態が悪化。


                  朝早く、


                  「お父さんの呼吸、苦しくなってるの!」


                  母が慌てて入ってきた。


                  すぐに様子を見に行くと、訪問の看護師さんが二人がかりで
                  もだえている親父の胸を押すようにタッピング、気道サクションしていて

                  寝起きで頭が回っていなかった僕も
                  異常な緊迫感で一気に目覚め、同時に現実感がなくなっていく。


                  母や看護師さんはしきりに親父に声をかけているけれど


                  僕はなにがなんだかわからなくて立ち尽くしてしまった。


                  本当に死にそうなんだというのが分かったのは
                  指につけられたオキシオメーターの数値。


                  SPO2の値が80を切っている。


                  数字はあくまで数字だけれど、実に説得力があって。

                  これは明らかに生命の危機をあらわす値で。

                  姉夫婦もかけつけてきた。


                  ショックからくる吐き気をこらえながら、親父の胸をさする。
                  大丈夫だから、大丈夫だから。無意識に声が大きくなっていた。

                  30分ほど経っただろうか、
                  吸引を続けているうちに呼吸のリズムを少しずつ取り戻して
                  ようやく92まで回復。
                  ブスコパン静注。

                  「つらかったー、、」と親父の顔にも生気が戻る。


                  「ヨーグルトが食べたい。ビール飲んでいいか。」


                  母が付き添い、1時間ほど穏やに過ごす。
                  看護師さんも撤収。


                  僕も一息ついたころ、またも痰が詰まっているような苦しそうな呼吸になって
                  念のため電話で看護師を呼ぶ。

                  このときは酸素の値が大きく下がることはなかったが、
                  何をどうしても気道の分泌物が取れない。
                  父は常にごろごろ苦しそうな息をしている。


                  ドクターが到着。


                  とにかく色々考えた。話した。
                  いったん設備のある病院へ入ることも。


                  結果選んだのは、セデーションといって
                  鎮静剤を使って意識レベルを下げ、「息苦しさ」を和らげて寝てもらうこと。



                  がんになる前から、長らくうつ病に苦しんでいた親父は
                  常に言っていたんだ。



                  「寝てそのままポックリ逝っていたいな」



                  父さん、そうなれるように最期まで見ていてあげるから、
                  どうか苦しまないで、今はゆっくり休んでくれ。

                  おやじ

                  0

                    北海道もすっかり暖かくなって、ライディングに絶好の季節が到来しましたが、


                    わたくし、全然乗っていません。



                    休日と出勤前、帰宅後と、在宅で父親の看護をしております。


                    (以下、正確ではない医療用語、医師の診断内容が含まれる可能性があります)


                    ちょうど2年前の5月、末期の肺がんの告知を受けました。


                    がん性胸膜炎を併発し、悪性胸水も認められるほど進行していたため、
                    手術や放射線などの治療はできず、抗がん剤の化学療法しか手は残されていませんでした。

                    それにしたって、データは1年生存率で40〜50%、5年生存率は10%未満。
                    要するに、治療を行っても行わなくても「治らない、長くは生きられない」ことには変わりがなく。


                    それでも
                    「とりあえず抗がん剤を1クール」

                    と、まるでビールを頼むようにドクターは言う。
                    そして、
                    「副作用の強さもありますし、様子を見ながら、なんとか3クール持てば…」


                    もし、がん患者を抱える医療関係者の方や
                    副作用に耐えながらも、がんと向き合って闘っている方、ご家族の方など
                    いらっしゃったら
                    気分を害してしまうようで誠に申し訳ないのですが、


                    俺には、親父に対するこのドクターの方針は

                    どっちみち長くは生きられない人間に対して、「治療」と称して副作用の強い薬剤を投与して
                    耐えられなくなるまで苦しめる


                    ようにしか聞こえなかったのです。

                    このまま数日後には抗がん剤治療がはじまる。
                    でも、本当にいいのか全くわからずに急いでセカンドオピニオンを求めました。

                    そして家族と本人とも相談した結果、


                    抗がん剤に代表される、がんに対しての積極的な治療は一切しない。

                    今後は父の残された人生を、少しでも安らかなものにするための緩和ケアを中心に行う。
                    QOLの維持を最大優先課題、何年生きるかの戦いなんてまっぴら御免だ!



                    それからの闘病は、セカンドオピニオンを頂いた病院へ通院し、経過の観察と
                    身体の痛みに対しての注射や内服薬の処方のみでした。

                    父は少しずつ弱ってきてはいましたが、幸い脳や骨などへの転移もなく
                    自宅で普通に食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、コッソリ煙草まで吸いやがり、
                    老後の楽しみとしてずっと考えていたモーターサイクルが欲しいと言い出し。
                    (去年私が免許を取得したのはこのためでした)


                    なんだかんだ、家族としては色々な葛藤や悩みは消えませんでしたが、


                    がんで余命わずかだなんて感じさせないくらい、ごくごく自然なまま月日は流れました。


                    今年に入り、急激にADLが低下。

                    歩くのがふらつくところから始まり、家の中で転倒したり、起き上がるのに苦労したり。

                    次の週には自力で布団から起き上がることもできなくなりました。

                    階段の上り下りが難しくなってから1ヶ月で、ほぼ寝たきりになりました。



                    このままホスピスへの入院を考えたのですが、

                    父が最初で最後のワガママ


                    「入院はできればしたくない」


                    現在は在宅医療を専門としているドクターやケアマネージャーを紹介してもらい、


                    慣れ親しんだ我が家で、家族皆と一緒に、旅の終わりを迎えるべく
                    残された時間を過ごしています。



                    だいーぶ辛気臭い話になってしまいましたが、私は平気です。
                    今は家族と交代で、また訪問の看護師も来てくれているので


                    ライディングのお誘いなど、今までどおり待っています!!



                    ここまで2年も抱えていたので、今更ねぇ・・←3月4月と自転車乗りに本州へ行っていた人

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